無錫市新呉区の鴻山に位置する歴史的村落大坊橋村は無錫市の十大古村落の一つである。約100年前に建てられたこの村落は今でも古い建物がそのまま残っていて、ここの歴史を物語っている。
望虞河、伯瀆河、漕湖に接している大坊橋村は、土地が肥沃で四季がはっきりしており、雨量がかなり豊富である。自然風景は独特で、河、湖、港が密集して、岸辺に草花が生い茂り、美しい生態風景に恵まれている。「坊橋」という地名は古くて、早くは元代の至正年間(1341年-1368年)王仁輔が編纂した『無錫県志』に「坊橋」を「泰伯郷」と記されている。この村は宋代の元豊8年に設立されて、数百年に名称が方橋、坊橋、大坊橋へと変わってきた。
大坊橋は自然が美しく、歴史が長く、千年の伝説が伝わっている。そのうち、「三嘆蕩」の由来に関するものがある。呉が滅びた年に西施が川に身を投げてしまったが、西施の行方を追って蠡河と漕湖の境目にある三嘆蕩に着いた范蠡は村の人に案内されて葦の茂みの中に行くと、岸に刺繡が施される靴の片方が落ちていたのを目にし、西施が水に身を投げたことを知って、3回嘆いたため、それからここは「三嘆蕩」と呼ばれるようになったと伝われている。
(写真・WeChat公式アカウント「無錫高新区在線」)
ひときわ目を引くのはここの13の円錐形のフード倉庫である。1970年代の初めに、農家の米を仕入れるため、大坊橋村の川の対岸に「坊橋糧站(食糧センター)」が築かれて、コンクリートブロックで13の円錐形のフード倉庫が立てられた。これらのフード倉庫は、三階建ての高さで、大坊橋村の旧市街の向こうに、ずらりとそびえていた。毎年新米が出回ると、周辺の農民が自家生産のお米を大坊橋まで運び、ここで船を待ってお米を蘇州などへ運んでいった。今食糧センターは廃業されているが、これらのフード倉庫がそのまま残っている。
それ以外に、大坊橋の民家建築群は無錫市の文化財・遺跡の保護単位に指定されている。清末に建てられたこの建築群は、30軒の古風な建物からなり、川沿いに建てられ、レンガと木の構造で、多くは一階建てだが、中にも四合院(中国伝統建築様式の一つ)があり、単檐頂(1層のみの屋根)で、木造の梁で支えており、扉も窓もほとんど木造となっている。この建築群は大坊橋旧市街にあり、旧市街は古めかしいレンガと石で敷き並べられて、南北の中央に「長楽亭」という名のあずまやがそびえている。
(写真・WeChat公式アカウント「無錫高新区在線」)
坊橋マーケットは大坊橋旧市街から始まり、すでに100年以上の歴史を抱えている。昔の坊橋マーケットは400メートルの青いレンガの道が広がり、両側に80余りの店舗が並んでいた。「美しい農村」建設に伴って、今大坊橋の旧市街は、黒い屋根と白の壁の建物が並べ、整然とした庭がときちんとした河道護岸が整い、また緑化も加わり、その中を歩くと、詩情と画境にあふれる江南の雰囲気を満喫することができる。
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